【講座開催日】2023年11月8・15・22日

   11月8・15・22日(水)の3回にわたり生涯学習センター4階講堂において開催された。講師は前ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)館長で実践女子大学名誉教授の島田紀夫氏。申込者は35名、受講者は33名、出席者は第1回29名・第2回28名・第3回29名で累計86名であった。

                       

 第1回は「炎の人 ゴッホ」。まずポスト印象派の説明があり、印象派の後にフランスを中心とした1880年代の画家たちの呼称で、印象派のようにグループ展を開いたりはせず、様式的な共通性は希薄で、それぞれの画家の画風は異なっている。ゴッホ・ゴーギャン・セザンヌの3人が代表的である。
 ゴッホは1853年オランダに生まれ、画廊の見習いや伝道師の仕事に就くがいずれも長続きせず、1886年に弟を頼ってパリに出て印象派の画家たちに出会い、ゴーギャンとは2ヶ月共同生活をしたが、「耳切り事件」で破綻した。タッチと色彩は内面的な感情を生々しく伝えており、「情熱的な画家」「狂気の天才」とのイメージから「炎の人」と言われる。主な作品は1886年~1890年に描かれ、ひまわり・小麦畑・糸杉を主なモチーフとした。また浮世絵の影響を強く受け作品に取り入れている。1890年7月27日銃で自らを撃ち二日後に死亡した。紹介された主な作品「ジャガイモを食べる人々」「星月夜」「ひまわり」「自画像」「夜のカフェテラス」など。

                       

 第2回は「タヒチを愛した画家 ゴーギャン」。1848年パリで生まれ、クーデターを避けてペルーに行き、1855年にフランスにもどり船乗りとなる。1871年に株式仲買商に勤め、絵を習い始める。エミール・ベルナールと共にサンテティスム(総合主義)をとなえ、印象派の写実性を否定し、象徴主義を表明した。代表作「説教のあとの幻影」はこの時に制作された。1888年ゴッホとの共同生活は破綻した。1889年ブルターニュで若手グループを形成し、パリ万博で象徴主義のグループ展を開催した。1891年から2度タヒチに旅たち、1903年タヒチで死亡。色彩の豊かさと筆致の大胆さが特徴である。紹介された主な作品は「我々はどこから来たのか」「タヒチの女」「黄色いキリスト」「マハナ・ノ・アトウア」など。

        

 第3回は「近代美術の父 セザンヌ」(1839~1906)。父親は南仏エクス・アン・プロバンスの帽子製造業から銀行を設立して成功する。父は銀行を継がせようとするが、1861年親友のゾラのいるパリへ行き、自由画塾アカデミー・シュイスに通い、ピサロ、モネ、ギヨマンを知るが、自信を失いエクスにもどる。エクスとパリに交互に滞在するが、1869年モデルのオルタンス・フィケと生活を始める。1974年第1回印象派グループ展にピサロの助力で参加、1977年第3回グループ展にも参加するが酷評を受ける。その後はエクスにて制作を続ける。代表的な作品は静物画・人物画・風景画(サント・ヴィクトワール山など)である。1895年画商ヴォラールの個展で印象派に不満の若手に注目されるが、生前の評価は名声を得るには至らなかった。紹介された主な作品は「サント・ヴィクトワール山」「リンゴとオレンジのある静物」「肘掛け椅子に座るヴィクトール・ショケ」「大水浴図」など。

                       

   受講者の言葉
・講師の方は大学で教えられ、その後、美術館の館長を歴任され、その知識と資料のすばらしさに圧倒され
   ました。
・作品の背景を知ることが出来たので、今度美術館に行くときに鑑賞の幅が広がります。
・展覧会などで、素敵だなあとか、好きな絵だと思ってみていた絵の背景や、画家の人生が分かり、とても
   面白かったです。
・先生の誠実な語り口も、ゆったりした気持ちでスライドの絵を見ることが出来てよかったです。                                                                                      (糸井史郎)
          

   

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

ポスト印象派を楽しむ(ゴッホ・ゴーギャン・セザンヌ)

好評のうちに終了しました

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